常設展示施設の紹介

館内のご案内

博多港は、朝鮮半島、中国大陸に最も近い港として、太古から交流をはかってきました。一方、昭和20(1945)年の終戦直後、博多港は日本最大級の引揚港として、139万人の日本人引揚者を受け入れ、当時日本にいた朝鮮半島や中国の人々約50万人を故国へ送り出した海の玄関口でした。
博多港が引揚援護港に指定されたのは、昭和20年11月24日。それからの長い年月の中で、博多港は戦後の経済発展により大きく変貌し、あの悲惨な戦争体験や引き揚げの歴史は次第に風化しつつあります。
この引揚港・博多~苦難と平和への願い~により引き揚げて来られた方々の労苦とともに、援護に力を尽くした人々の足跡、平和への願いを感じていただければと思います。博多港に引き揚げてきた方々から寄贈いただいた貴重な資料の数々をぜひご覧ください。

館内図
序章「引き揚げとは」 終戦後、中国・台湾・朝鮮半島などから多くの日本人が海外から戻ってきた「引き揚げ」。占領下の日本では、連合国総司令部の管轄のもと、引揚援護政策が行われることになり、福岡市に「昭和20年(1945年)11月24日厚生省博多引揚援護局」が設置され、1年5ヶ月にわたって多くの引揚者を受け入れました。当時の引き揚げの様子を記録した映像フィルムもご覧ください。
第一章「海外での生活」 昭和20年(1945年)に第二次世界大戦が終戦するまでは、日本の海外への進出政策により多くの日本人が海外で生活していました。学校関係の資料や、絵葉書・写真・生活用具などが当時の生活の様子を物語っています。
第二章「海外からの出発」 日本の敗戦により、海外に生活していた日本人は日本に引き揚げることになりました。しかし、遠い海外から日本に帰るまでの長い道のりの中ではさまざまな苦難がありました。実際に使用したバッグや生活用品、また引揚者胸章や腕章、各種証明書類等を展示します。
第三章「海の玄関口・博多」 戦後、博多港には元軍人等約42万人を含む引揚者約139万人が上陸しました。また、在日外国人約50万人が博多港から祖国へ帰っていきました。博多港はまさに海の玄関口でした。引揚船の模型をはじめ、引揚証明書、復員証明書等の資料を展示します。
第四章「引揚援護」 博多には引揚者のための収容所のほか、孤児施設や療養所が設けられ、様々な団体や寺院・病院が協力し献身的な活動に支えられていました。MRU(米軍政府公認・移動医療局)、聖福寮(孤児施設)関係資料等、援護活動の足跡をご紹介します。
豆知識「情報コーナー」 今まで知らなかった引揚港・博多の歴史。博多港には、何人くらいの人が帰ってきたのでしょうか?また、どんな施設があるのでしょうか?わかりやすく紹介しています。

アクセスマップ

■開館時間 / 9:00 ~ 21:00
■休館日 / 毎月第3火曜日(祝日の場合、翌日)
■入館料 / 無料
■公共交通機関 /
・福岡市営地下鉄(空港線)「唐人町」駅下車
 4番出口から徒歩約7分
・西鉄バス「黒門バス停」下車徒歩5分

〒810-0062 福岡市中央区荒戸3丁目3番39号
福岡市市民福祉プラザ(ふくふくプラザ)1階ホール横ホワイエ
TEL:092-731-2929 FAX:092-731-2934
URL:http://www.fukufukuplaza.jp/